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遼寧省  
 


瀋陽市(しんよう)


日期:2011/12/27  浏览:398次

位置と地域
瀋陽は遼寧省の省都で東北地区の政治・経済・文化・商業の中心的都市。遼寧省の中心に位置し、東側に長白山脈を望み、西南方向で渤海に面している。瀋水(現在の渾河)の北に位置することから「瀋陽」の名が付いた。

行政区画
市街地に和平・瀋河・大東・皇姑・鉄西の5つの区、郊外に東陵・于洪・蘇家屯・新城子の4つの区があり、その周りには県級市の新民市と遼中・康平・法庫の3つの県がある。全市の総面積は1万2980平方キロで、人口は689万人。全国でも5番目の人口を持ち、漢民族のほかに満州族・朝鮮族・回族・シボ(錫伯)族・モンゴル(蒙古)族など32の民族が居住している。

気候
北温帯の大陸性半湿潤モンスーン型気候に属している。四季は比較的はっきりしており、冬が長いが、春季の気温の回復が早いのが特徴。年間の気温は-29度~36度で、年間平均では8.3度。年間の降水量は500ミリで、平均無霜期は183日。

歴史
瀋陽地区の文明史は比較的古く、地区内の新楽遺跡は7200前の新石器時代に属する。戦国時代には燕国の版図に属し、漢代には侯城・高顯・遼陽・望平などの郡が置かれた。元代に瀋陽路が設置されたのが現在の名称の始まりで、明代には瀋陽中衛が置かれ、北方の少数民族に対する前線基地の役割を担った。
瀋陽が歴史的に注目されるのは明代後期からで、1616年に東北地方の女真族を統一し、「後金」を建国した愛新覚羅・努爾哈赤(ヌルハチ)は、1619年のサルフの戦いで明の討伐軍を撃破し、1625年に瀋陽に入城、遼陽から遷都しこの地を都に定めた。努爾哈赤の跡を継いだ皇太極(ホンタイジ)は国号を「清」、民族を「満州」に改め、それに従い瀋陽も「盛京」と改名されたが、その後、三代目の順治帝の時代(1644年)に清が長城を越えて中国全土を征服すると、都は北京に移され、瀋陽は陪都(副都)となり、1657年には名称も「奉天承運(天命に従う)」の意を取って「奉天」と改められた。
当初清朝は統治者である満州族の故地である東北全域を禁区として漢民族の流入を認めていなかったが、後期になりその禁が解かれると大量の漢民族が流入し、奉天はやがて東北三省随一の大都市と発展することになる。辛亥革命(1912年)で清朝が倒れると、東北地方は張作霖・張学良親子の軍閥は奉天を根拠地に東北全域を支配した。
その後1929年に張学良が南京の蒋介石政権に帰順すると奉天は一時的に瀋陽の名称に戻されたが、翌々年に満州事変が勃発すると、日本によって再び奉天に改名され、満州国時代を通してこの名称が使われることになる。
日本の敗戦によって満州国が崩壊すると、奉天は再度瀋陽の名称に戻され、国共内戦を経て1948年に人民解放軍によって解放された。新中国成立後は一時中央政府の直轄市とされたが、1954年には遼寧省の管轄下に移され、同時に省都となり現在に至っている。

観光
近代や満州国時代の旧跡が見所として多い東北地方の都市の中で、瀋陽は近代以前の古典的な建造物が多く残る都市として人気がある。清初の2人の皇帝(努爾哈赤・皇太極)によって造られた瀋陽故宮は北京の故宮に次ぐ規模を持つ宮殿として、瀋陽のナンバーワン観光スポットとなっており、郊外にはこの2人の皇帝が眠る陵墓(福陵・昭陵)も残されている。
その他では輝山風景区、遼寧テレビ塔、怪坡、中国では9・18事変と呼ばれる満州事変の旧跡(9・18事変博物館と張氏帥府)、中街商業歩行街、渾河楽園、夏宮、新民西湖、新楽遺跡、瀋陽植物園、運河風景区、康平臥龍湖、瀋陽古隕石陳列館が前述の清代の旧跡とともに瀋陽15大観光地とされている。
また名物料理としては水餃子の老舗として全国的に有名な「老辺餃子館」があり、日本からのツアーでも大抵コースに含まれている。
 
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